最近上達を科学する、という旨の本を読みました。

なんでも、あるものの上級者同士は中級初級者には到底分らない次元で会話を成立させるということです。

例にあげてあるものが囲碁や将棋だったのですが、言われてみれば、そうだなと思うことが書かれていました。

たとえば、塾の講師として試験で点を取るために必要なことをあげていく場合。
このときに、英語であれば英単語をしっかり覚えろなどということは言いません。
それは、当たり前すぎることなのでそのようなことを言う必要がないと考えるからいわないのです。

英語ができない生徒たちにとっては、点を取るために重要なこととして、まず単語がどうかということを知りたいようです。しかし、前記のように、それは当たり前すぎることなので触れません。
すると、「単語はどうですか」と聞いてくる生徒がいます。
覚えているのが当たり前のことを聞いてくる、これは彼が英語ができないということを自己申告しているという状況そのものなのです。

ひどい場合には、「数学がわからないので教えてください」という生徒もいます。

これは数学以前の問題です。


自分がどの位置にいるのか常に正しい認識をしていくようでないと、正しい方法を取るのみならず、正常な結果を得ることもできません。

認識、時と場合によって変わる部分もありますが、ゆるぎない確実な正眼を身につけたいものです。