2012年3月11日を迎え、私は日比谷で犠牲者への追悼と被災地の復興を願ってきました。

個人的な心境を書きます。

被災地復興が滞っている現状を受け、ドイツ哲学ジンメルさんの「橋と扉」を思い出しました。
人間は常に結合と分割を繰り返し行わざる得ない存在であるがゆえに、そのためにはまず結合と分割されているものを精神的に認識しなければならないという難解な哲学的な話です。

「人間は限界をもたない限界的存在である。彼が扉を閉ざして家に引きこもるのは、確かに自然的存在の切れ目のない統一のなかからその一部を切り取ることを意味している。しかし無形の限界がここにひとつの形態を獲得するとともに、人間の限界性は、扉の可動性が象徴しているところのもの、すなわち、この限界からあらゆる瞬間に自由のなかへと歩み出る可能性によって、初めてその意味と尊厳とを見出すのである。」Georg Simmel

橋を考えた人は限界を超えたい一心で分断された空間をつなぎました。

扉を考えた人はその可動性により、より自由に限界性を支配しようとしました。

どちらもすばらしい発想ですが、扉のほうは閉鎖された空間自由を支配し続けることができると同時にそれ以外の世界全体から切り離された状態に置かれます。

「従って扉は、人間がもともとそこに立ちつくしている、あるいは立ちつくすことのできるこの境界点の象徴となる」Georg Simmel

私がいま被災地の復興を思う気持ちは、がれき受入れという扉が開放されたその時に復興のエンジンが全開で始動し、まちが動き出す瞬間ではないかと思っています。

大げさに聞こえるかもしれませんが、日本全国の自治体は自由の意思でがれき受入れという扉を開放することこそ「世界に誇ることのできる絆」ではないでしょうか。