ロンドンオリンピックは何かと印象深い大会でした。

男子柔道陣の涙、バレーボール、ボクシング、ウエイトリフティングなどで日本にメダルを持ち帰った復活種目、マイナー種目の活躍、そのメダルを左右する程の審判問題、レフリィの在り方、竹島問題と「日韓戦」等々・・・

私がオリンピックを意識して見た大会は1964年の東京オリンピックです。
国立競技場の聖火ランナーが最後の階段を駆け上がっていく様子を絵に描いて、ライオンズクラブ主催の作品展で入賞したこともあり、小学校1年生でも当時の印象は消えていません。

100mのヘイズ、柔道無差別級のヘーシンク、重量挙げの三宅義信、マラソンの円谷幸吉
等、幼い私がもったオリンピックのイメージはチーム種目より、個人種目の競技でした。
ヘーシンクに負けた日本人神永選手の立場がどのようなものだったのか、その後知ることになりますが、その時既に「日本は金をとってあたりまえ」の根拠は現実としてなかったのでしょう。

それから48年の月日が流れ、柔道はさらに国際的な広がりとレベルアップが行われ、ロンドンでは日本が弱いのではなく、海外が強すぎるという印象をもったのは私だけではないと思います。

却って、日本の重量級(ミドル級)は世界に通用しないといわれていたボクシングで村田選手が「自分に通用しないということではない」と言って金メダルをとった歴史的な勝利が、ロンドンオからリオデジャネイロへ向けてとても象徴的な出来事として印象に残っています。