相手の立場に立つということのむずかしさ
ブログ投稿日時:2011年04月26日火曜日 09時41分22秒
記事投稿者:行政書士はあとふる法務事務所 カテゴリー: General
つい,お年寄りだから,障がい者だから,男のくせに,女のくせになどの何らかの枠にはめて考えてしまうことがありますよね?
血液型でも,やっぱりO型とかいうように,そういう景色はよく見られます。楽しい会話の中では盛り上げのエッセンス的要素になるその言葉も,社会的弱者と呼ばれる人に向けられる時,そういう気持ちはややもすると偏見の芽ともなってしまいます。
人と向き合う時,そういう気持ちをちょっと忘れ去って,自分の気持ちをフラットにして耳と心を傾けてみると意外な発見をするかもしれません。
お年寄りだから先が短い,また,障がいがあるから不幸と短絡的に結び付けてしまっていては,その先にある希望や夢を共感することはできないのかもしれません。
誰の心にもあるはずの希望や夢を,共感,そして発見しながらふれあうことで,本当の意味で「相手の立場に立つ」ということができるのかもしれません。
ノーマライゼーションという言葉があります。住む町の様々な障壁をとりながら,誰でも普通に生活できる環境作りといった意味なのでしょう。
その様々な障壁の中には人の心の中にある「高齢者・障がい者だから」といった気持ちの障壁もあるのかもしれません。
ただ,普通のノーマルな生活を障がいのある人が手に入れるためには様々な支援が必要です。そういった人や物の支援を受けながらのノーマルな生活というのは,ひょっとしてアブノーマルじゃないかという声もあるかもしれません。
しかし,そのアブノーマルがノーマルといえることがノーマライゼーションではないでしょうか。
QOLという言葉があります。クオリティー・オブ・ライフですね。すっかり定着している言葉で,「生活の質」といった意味らしいですね。このライフの中には生活といった単純な意味ではない3つの意味があるそうです。
「人生の達成感」「生命の充実感」「生活の満足感」です。
生活の質の生活を,単純に考えていては本当に相手の立場に立つことにはなれないでしょう。生活を「生命」「生活」「人生」と包括的にとらえていきながらその中身をしっかりととらえることが必要でしょう。
「相手の立場に立って考えなさい」小さいころからよく言われた言葉ですが簡単ではないですよね。
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