保阪正康「昭和の怪物 7つの謎」(講談社現代新書)を読む機会があった。怪物は6人、東条英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂で、石原莞爾のみ「世界最終戦論」を加えて2章としてあるから、7つの謎となる。いずれもアジア・太平洋戦争に深く関与した人物で、保阪正康流の位置付けがなされている。もっともこのうち渡辺和子のみは、若干の解説を必要とするかもしれない。2・26事件で殺害された渡辺錠太郎教育総監の娘で、9歳の時父が射殺される現場に居合わせたという。戦後はシスターとなり、ノートルダム清心学園理事長のとき、2016年12月に89歳で死去している。
この6人のうち、日本を破滅に追い込んだ戦犯として、誰もが合意する者は東条英機であろう。だが日本の国民世論なるものは、まだまだ指弾の程度は弱い。せいぜいで「開戦時の首相だったのだから」「日本が敗戦に至る際の総責任者だったのだから」程度で済ませているのではないだろうか。なかには最近では日本のアジア侵略を否定しようという余りに、これら戦犯たちを免罪しようとする言説さえ出てきている。だがこの時期の戦史を読めば読むほど、東條という男は実に無能な、許せない卑劣漢だったということがよくわかる。この保阪の著作でも、「決して選んではならない首相だった」「東條人事こそ陸軍最大の誤り」と指摘しているのも、その辺のことを指しているのだろう。
首相になる前の陸軍大臣、その前の関東軍参謀長の頃から、東條は自分と意見が対立すると、直ぐにその人物をパージしてしまったという。最も有名なのは石原莞爾との対立であり、東條は、真珠湾攻撃の直前に石原を予備役に追い込んでいる。また極東軍事裁判で唯一中将で死刑となった統制派中の統制派である武藤章とも対立し、軍務局長から左遷している。さらに許せないのは、意見が対立した人物に対して、憲兵隊指令長官を使って、直接・間接に脅しをかけ、さらに弾圧もしていることである。これらは無能な人物にありがちな対抗措置だと言えば言えようが。また当時無装荷ケーブルを発明していた工学博士の松前重義(のちの東海大学総長)を、東條に批判的であるという理由で二等兵として徴兵し、中国南方戦線に送ったと言われている。渡邉恒夫(読売新聞社主、主筆。ナベツネ)までもが、二等兵として徴兵されたということを理由に今でも「東條は許せない」と息巻いているのは、まだ程度が軽いとしても。
 また東條が陸軍大臣のとき、1941年1月8日に制定したのが悪名高い「戦陣訓」である。「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」という訓示は、それ自体が独り歩きして、捕虜になった者はスパイ、あるいは非国民であるとして、全滅することを強要するものとなった。全滅を玉砕と美化することによって、事実上全滅を強制したのである。その一方で東條自身は、ピストル自殺未遂の果てに、おめおめと生きて連合国軍の捕虜となり、極東軍事裁判の末に絞首刑となっている。あのヒトラーの軍隊でさえ、スターリングラード攻防戦で敗北した際には、何万人と降伏したというのに。

 また孫崎享「日米開戦へのスパイ」によると、東條はゾルゲスパイ事件の尾崎秀実が近衛首相の秘書官であったことを脅しに使って、近衛を辞職に追い込み、代わりに首相に就任したという。そのためにゾルゲ・尾崎の逮捕・摘発の日付を実際より1日遅く発表する(10月15日逮捕だと近衛の辞任発表後に逮捕したこととなり、東條が尾崎逮捕を使って近衛に辞任を迫ったことが隠蔽できる)という手の込んだ策略をも弄しているというのである。日米首脳会談を模索しつつ開戦に逡巡していた近衛に代わって、主戦派の東條が首相となった時点で、もう対米英戦争は不可避となったと言えるのではないか。
 この時点で東條を首相に選んだということは、それ以後の戦争の全惨禍、45年3月の東京大空襲、広島・長崎への原爆、その他無数の被爆被害、44年頃から深刻となった国民全体の飢え、あるいは侵略した先での兵士の無数の戦病死・餓死、占領地での現地人の大量の虐殺等を必然化したということなのである。東條を直接に選んだのではないとはいえ、世界で2千万人、日本で310万人を犠牲にしたと言われるこの惨劇に、われわれは心底から戦慄しなくてはならない。問題は我々が直接首相を選ぶのでないとはいえ、とんでもない人物を首相に選ぶということは、我々の生殺与奪の権、我々を殺戮する権利までをその人物に委ねてしまうということなのである。
東條以外の人物に言及する余裕がなくなってしまったが、とんでもない人物を首相に選んでしまったことのツケは必ずやってくる、それも何百倍か何千倍かになって返ってくるということが、貴重な歴史の教訓と言えるのではないだろうか。