このところ、欧米のメディアから、日本の新型コロナウイルスの拡大を抑え込んだかに見える現状への疑問が噴出している。いわく「何から何まで間違っているように見える」(米フォーリン・ポリシー誌)、「大惨事を招くためのレシピのようだった」「日本は次のイタリアかニューヨークとなる可能性があった」(オーストラリアABC放送)、「ドイツや韓国と比べると、日本の検査件数はゼロを一つ付け忘れているように見える」(英BBC放送)、「第1波をかわしたのは本当に幸運」「第二波が来る前に検査を1日10万件できるように準備しなくてはならない」(米ブルームバーグ通信)などなど。
いずれも、日本の対策が不十分で、危機を交わしたのは偶然又は幸運との指摘である。これらの意見のうちかなりの部分は当たっていると言えるが、必ずしも正鵠を得ているとは言えない。日本国内でのジャーナリズムの指摘も、ほぼ似たような論調である。だがこれらの論調の多くは(日本も含めて)、的外れと言えるのではなかろうか。
それは、日本がコロナ感染者・死亡者が少ないのは、国民皆保険制度に負っているという指摘が少ないことである。考えてもみよう。日本では、PCR検査が少ないとして非難が飛び交っている。かなり多くの人がPCR検査を受けようとして、受けられない、その多くは保健所に容態を聞かれ、37度5分以上が4日以上続いていないとして、検査を断られているケースが多い。この保健所の対応は不親切極まりないものだが(その責任は地方自治体というよりもむしろ厚労省にあるのだろうが)、その結果「隠れコロナ」を蔓延させていると言えるが、「当然検査してくれるはず」ということが前提となっている。それでは他の諸外国ではどうなっているのだろうかということになる。国民皆保険制度がないアメリカのメディアなどが、日本の現状を批判することなどは、噴飯ものという以外にない。日本もコロナ騒動が起きるまでは、メディアなどでは、どちらかと言えばやや混合診療(自由診療と保険診療の混合)を肯定するのに重点を置いた論調が多かった。下手をすると混合診療が開始されかねない瀬戸際にあったと言ってもよかったのである。その瀬戸際が壊れたのは、コロナ騒動のおかげかもしれない。日本のメディアも含めて、国民皆保険制度の利点がもっともっと強調されてもよいのに、そうはなっていない。
アメリカなどは、コロナにかかったかもしれないと思っても、検査してもらうこと自体に無茶苦茶金がかかってしまって、とてもじゃないが、よほどの富裕層でなければ検査してもらうこと自体が不可能である。かくしてコロナが国民の間に野放しとなってしまうという仕掛けとなる。その結果が、世界で最大級の感染者と死者ということになる。