「この道は いつか来た道 ああそうだよ アカシアの花が咲いてる」
これは北原白秋作詞 山田耕筰作曲の「この道」である。
 最近は、この歌が妙に実感を伴って聞こえてくる。但し実感を伴うのは第3節までで、そのあとの第4節は、アカシアのようなきれいな花ではなく、「往復ビンタの花が咲いてる」とでもすればよいのだろうか。70数年前の「教育勅語」がまた教えられる時代がやってこようとしているのだから。一旦新憲法には合わないとして、1948年に国会で「排除・失効」とされたにも拘らず。それが「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」と、このほど閣議で決定された。だが「教えること自体はいいのだ」という含意が透けて見える。「反しない形で」とはどうにでも理屈がつけられる。「教育勅語」崇拝者は言う。「父母に考に、兄弟に友に」のどこが悪いのだと。
 だが「教育勅語」を教えることは、一つのシステム、制度であろう。そのどれか一部をもってきて「いい」「悪い」と言っても始まらない。肯定する人は、戦前に教育として横行した「ビンタ」「往復ビンタ」をも肯定しなくてはならない。自分の息子、娘が、教師や「級長」「副級長」と称する同学年の悪ガキどもに、往復ビンタを食らうことをも(ブログ「そして誰もいなくなった」参照)、必要な教育の一環として肯定しなくてはならない。その用意はあるのだろうか。いや、多分決定した人たちは、自分の息子や娘は例外だ、当てはまらない、除くべきだ、除けると思っているのだろう。
 この国はかつて「戦陣訓」なるものを決定して、「生きて虜囚の恥ずかし目を受けず」と、降伏を拒否して「玉砕」という美名の全滅を選ぶことを強要した。だがその「戦陣訓」を決定し、自分の方針に異を唱える者たちを憲兵を使って脅した東條英樹自身は、自殺未遂の末に、おめおめと生きて連合軍の捕虜となり、絞首刑に処せられた。東條はまた、首相、陸軍大臣、参謀総長を兼務し、「退却」を「転進」と言い換えたり、ウソの戦果を発表するなど、悪名高い「大本営発表=大うそ」というイメージを作り出した元凶でもあった。
 インパール戦争で中止を唱える者たちを手ひどく弾圧し、何十万人という死者(その大半は餓死、病死だった)を出した牟田口廉也中将は、敗戦と同時にいち早く日本に逃げ帰っている。他にもこのような例は枚挙に暇がない。これらの輩は、2014年4月の韓国旅客船セウオル号沈没事件の際に、多数の高校生を見捨てて真っ先に逃亡し、295人を死亡させた船長にも匹敵する、唾棄すべき存在だと言えようか。この国では、上に立つ者たちは、多くの場合、信用ならないというのが、貴重な教訓だと言えるのではないか。