さる日曜日、友人に誘われて歌声喫茶に出かけた(固有名詞は伏せる)。その日はロシア民謡だけをやるという話である。そこはロシア民謡、労働歌・革命歌、山の歌の3大ジャンルを中心に賑わってきたという。もっとも50数年前の最盛期には、コーヒー一杯で3~4時間も粘れたいう話だが、今時そんなことをやっていたら潰れてしまうので、酒もビールも提供する。そこには別な友人から誘われて、10数年前から年に何回か出かけるようになった。時々大声を張り上げて歌うと、身体や頭脳の健康によいことを体感できる。
 ただ大学時代から、ロシア民謡だけではなく、ロシア文学も好きだった。重厚だが、やや野暮ったいところが、私の気質と共通していたのかもしれない。そのため第三外国語にロシア語を選択して、辞書を引けば何とか読めるぐらいのところまでは行った。ドストエフスキーで1ページに7~8語ぐらいだったか。語学的・文学的には浅学菲才で、大きなことを言えた柄ではないが、1ページ当たりにひく語彙の数だけから言うと、ドストエフスキーがいちばんやさしくて、レールモントフ、トルストイ、チェーホフの順番だったか。チェーホフは軽妙な語を選ぶせいか、案外難しかったと記憶している。次いでプーシュキン、ゴーゴリの順番か。ゴーゴリはウクライナ人なので当然だが。教授は著名なロシア文学者で、(当時のソ連共産党機関紙の)「プラウダ(真実の意)というが、ニエプラウダばっかりだ」と言って、学生を笑わせたたりもした。
 もっとも読み書きから入る日本の語学教育は、子どもが親の話を聞いて身に着け、読み書きはそのあと学ぶという自然原理に反している。脱亜入欧を急いだせいか。同じころハバロフスク大学の日本語科は、20人学級でまずリンがホーンで会話から学び、読み書きはそのあとから教わるという話だった。
 ともあれロシア民謡を大声で合唱したりしていると、ときにソ連時代の歌で違和感を感じるときがある。「ふるさとのこえが聞こえる。自由の大地から。何よりもわれらしたう。なつかしソビエトの地。世界にたぐいなき国。うるわし明るき国。われらの母なるロシア。子どもらは育ちゆく」(「エルベ河」)などと聞くと、「うーん」と首をかしげてしまう。
 一方、それから数日後に別なカラオケ酒場に行った。そうしたらいい年配の男性が、得々と気持ちよさそうに軍歌を歌っていたので、ビックリした。「出征兵士を送る歌」である。「わが大君に召されたる、命栄えある朝ぼらけ。讃えて送る一億の、歓呼は高く天を衝く、いざ征け強者日本男児」「~無敵日本の武勲(いさおし)を世界に示す時ぞ今、いざ征け強者日本男児」。こういう強がりを野放図にばらまいた結果が、惨憺たる破滅の道へと至ったのだろう。歌を聞くと、この人は鉄砲を担いで先頭を行くのか、それとも背後にいて「征け征け」と他人を煽るだけの存在なのかと、考えさせられてしまう。
 いずれにしろ他国の欠陥だけをあげつらっている議論には、ろくな結果となるものはない。