2012年 3月の記事一覧

«Prev1Next»
12年03月23日 09時19分33秒
Posted by: kjoffice1229
石巻工業高校野球部が被災地に向けて、全国へ向けて立派な試合を見せてくれました。
相手は九州の強豪校神村学園、神村学園のスタンドからも東北へ熱いエールを送ってくれました。
勝敗というよりも、未曾有の被災を受けた高校生が1年未満であれだけのプレーが出来たことに驚きました。スポーツのちから、石工選手の努力、スタンドが一体となった応援、とても素晴らしいものに出会えて本当によかったです。
石巻市民は2回戦間違いなく神村学園を熱く応援することでしょう。神村学園がんばれ!
12年03月16日 10時09分06秒
Posted by: kjoffice1229
センバツの選手宣誓が石工の阿部主将が引き当てたことを知り、とてもドラマティックなできごとだと思いました。
石巻地域に生まれ育ち、自ら被災者でもある高校生が甲子園に行くこと自体「歴史的出来事」なのに更に全国へ向けて大会の宣誓を石工のキャプテンが担うことになるとは、きっと地元でなくともサプライズなできごとに違いありません。
阿部主将がんばれ!元気にその勇姿を披露して下さい。
12年03月11日 17時48分06秒
Posted by: kjoffice1229
2012年3月11日を迎え、私は日比谷で犠牲者への追悼と被災地の復興を願ってきました。

個人的な心境を書きます。

被災地復興が滞っている現状を受け、ドイツ哲学ジンメルさんの「橋と扉」を思い出しました。
人間は常に結合と分割を繰り返し行わざる得ない存在であるがゆえに、そのためにはまず結合と分割されているものを精神的に認識しなければならないという難解な哲学的な話です。

「人間は限界をもたない限界的存在である。彼が扉を閉ざして家に引きこもるのは、確かに自然的存在の切れ目のない統一のなかからその一部を切り取ることを意味している。しかし無形の限界がここにひとつの形態を獲得するとともに、人間の限界性は、扉の可動性が象徴しているところのもの、すなわち、この限界からあらゆる瞬間に自由のなかへと歩み出る可能性によって、初めてその意味と尊厳とを見出すのである。」Georg Simmel

橋を考えた人は限界を超えたい一心で分断された空間をつなぎました。

扉を考えた人はその可動性により、より自由に限界性を支配しようとしました。

どちらもすばらしい発想ですが、扉のほうは閉鎖された空間自由を支配し続けることができると同時にそれ以外の世界全体から切り離された状態に置かれます。

「従って扉は、人間がもともとそこに立ちつくしている、あるいは立ちつくすことのできるこの境界点の象徴となる」Georg Simmel

私がいま被災地の復興を思う気持ちは、がれき受入れという扉が開放されたその時に復興のエンジンが全開で始動し、まちが動き出す瞬間ではないかと思っています。

大げさに聞こえるかもしれませんが、日本全国の自治体は自由の意思でがれき受入れという扉を開放することこそ「世界に誇ることのできる絆」ではないでしょうか。

12年03月10日 13時13分31秒
Posted by: kjoffice1229
3月11日を迎えるにあたり、落ち着かない日々を過ごしている人も少なくないのではないでしょうか?
各メディアは被災地に入り、特集を組み、書店では震災関連のコーナーがまた台頭しています。
3月11日はどう過ごせばよいのか?
私もそのひとりです。自分なりの追悼のかたちは何なのか?
では被災者はどうなのか。被災地の友人と電話で会話しました。

やはり彼も個人ではどこでなにをするのかはあまり考えられないという答えでした。
犠牲者への追悼の意義はあるが、残された被災地が現実に前に進まないことには始まらない。
行政のスピードではあまりに遅すぎるので民間の力を結集していろいろ計画している。
しかし、何を実行するにしてもあのガレキをなくさないと始まらない!
巨大要塞のようなガレキの山を前にすると憤りを感じる。結局被災地のことはなにも分かっていない。復興支援とはガレキ処理から始まるという基本が理解されていない・・・

冷静であまり過激なことは言わない彼でも、各地のガレキ受入れ拒否はショックだったのです。

私は、日本全国の自治体で公平にガレキ処理を行うこと、被災地にとっての希望と勇気はここから生まれると考えています。
12年03月05日 09時37分23秒
Posted by: kjoffice1229
震災から1年が経過しようとしているこの時期、各メディアは再び被災地へ向かっているようです。

3日の朝日新聞でとても気になる記事がありました。


復興交付金 憤る被災地(朝日)

復興交付金の第一次配分額が申請した金額の6割の3,000億円であったという記事です。

宮城県の村井知事は復興庁ではなく査定庁と揶揄しています。

心配していたことですが、初回からこれでは先が思いやられます。

復興庁は何を考えているのか?
緊急性に乏しいというのが認めなかった理由ですが、つまりそれは復旧のことではないですか。

何故被災地には復興が必要なのか、復興庁は被災者に必要な復興事業が理解できていないことを露呈しています。

レジャー施設だって地域特産品生産整備施設だって被災地の状況次第では第一次からどんどん行っていかないと地元住民は去っていきます。

申請手続にも問題がありそうです。

村井知事が「国庫補助事業を上回る程の資料を求められた」と不満を示したそうですが、

これでは復興庁は単なる取次機関として機能しているだけです。

被災地自治体職員の絶対数が足りないのは政府も分かっているのにそれでも従来の役所仕事で復興交付金申請を処理しようとするのが実態でした。

何のために復興庁を立ち上げたのか、野田総理は早急にこの状況を把握して適切な指示命令を出すべきと考えます。
«Prev1Next»