先日,認知症の家族の方の話を聞く機会を得ることができました。

認知症の方の見える世界,感じる世界と私たちの見える世界,感じる世界は別世界なんだなぁと思いました。

その介護側では見えない,感じとれない認知症の家族の世界を一生懸命感じとろうとし,理解できずにくじけそうになり,理解を超えたところに何かを発見したりと,家族の方々の本当に大きな悩みを抱えておられる姿を垣間見ることができたように思います。

ただ,その話の奥,真実はもっと過酷でドロドロとした語るに尽くせない部分もあることだと思います。

苦労ではあっても,不幸ではない。以前,障がいのある方の家族の方が自分の介護生活を,そう表現されたことを聞いたことがあります。

一方で自分だけなんで不幸なんだという声を聞いたこともあります。自殺を考えたこともあると言われた方もおられました。

介護生活(するもされるも)というシビアな現実は人の真実を浮かび上がらせるのかもしれません。何が真実かはわかりません。でも,それぞれが何かしらの哲学を感じておられるように感じました。

「認知症の方の暴力は暴力ではない。暴言は暴言ではない。問題行動なんて言ってほしくない,心の叫びなんだ。介護されている認知症の方も混沌とした世界の中で不安を抱えて,常に叫んでおられる」そういう話も聞きました。

介護は大変。言葉では簡単に表現できますが。その奥には悲しみ,喜び,苦痛などいろいろなものが奥深い感情として存在しているのだとひしひしと感じました。

成年後見業務に携わる者として,その奥を感じとれる本当の意味で「理解のある」後見活動をしたいと思いました。