初めての投稿記事には事務所のホームページにも記載したものです。

私は以前,一人の進行性の全身障害がある重症の方と知り合いになったことがありました。彼は人工呼吸器をつけていますが,呼吸器をつけるようになってほとんど外出の機会に恵まれていませんでした。

その後,保護者や学校の担任の先生たちの支援,本人の努力を通じて,少しずつ外出できるようになったのです。

そして,その経験を重ね,彼はコンサートに行きたいと言えるようになるまでになりました。

久しぶりの外出,さらに大好きなアイドルのコンサートへ行くことは,彼にとっての大変感動的な出来事と思い,その様子をぜひ作詞できないかと投げかけました。

実は,私は年に1回気の合う仲間たちと一緒に障がいのある方に向けてのコンサートをしています。そのコンサートでは音楽の教師の自作による歌を歌っています。

彼に「うまい詞ができればその先生が曲をつけてくれて,私たちのコンサートで披露することができるかもしれない」と伝えてみました。そして,彼も若干乗り気で作詞することになったたのです。

しばらくして,彼から詞ができたとのメールが届きました。

詞を見て驚いたのは,その中心となるコンサートの様子だけでなく,道中の様子が事細かに書かれてあったことです。

車の揺れ,窓の景色の流れ,変化,周りの音など,車に乗ったところから,降りるところまでの様子が,実に,詞の中の半分以上の割合を占めていたのです。

コンサートの詞なのだからコンサートのことをもっと中心に書いたらいいのにと思い,彼に再考を促そうと考えました。

しかし,よくその詞を読み返すと,彼のある思いに気がついたのです。

私たちにとっては何気ない外出という行為です。しかし,彼にとって何年振りかの外出,さらに初めてともいえる遠出という体験はすべてが新鮮で,彼の眼には周りの景色が大好きなアイドル同様,きらきらと輝いて映ったのではないでしょうか?

彼にとってはコンサート会場という目的地だけがドラマであったのではなく,道中もすべてがドラマだったということがわかりました。

重症の障がいがある人にとって1回の外出は非常に貴重な経験の場であるといえます。また,自分の体験では外出自体が奇跡の場であるといえる人にも出会ったことがあります。

そう考えると,移動や外出を支援する人はその貴重な瞬間,時間を共にできる幸せを感じられる一方でその貴重な時間を共にしているという重い責任を担っています。

その貴重な幸せな空間をいかに提供するか,私たち福祉に関わる人間にはその点も期待されていると思いました。