現在開会中の国会に上程されている「安保法制」について、私は強い疑義を感じています。

 私が思うには、この法案については、2つの論点があります。第一点目は、この法案が憲法9条に反し、立法が許されないものはないかということです。そしてもう一つは、仮にこの法案が合憲だとしても、この法律を発動し、アメリカ軍に追随して自衛隊が軍事行動を行い拡大していくことを認めていいものかどうかという点です。
 この2つのハードルをクリアできて初めて、この法案が許容されるということになります。
 まず最初の論点について、私はこの法案が憲法9条に反するものであると考えます。
 それは、そもそも自衛隊の存在自体が9条の文言に反するように見えるところを、「専守防衛だから」という理由で、無理やり合憲とさせてきたからです。そうであれば、「専守防衛」の枠を超えてアメリカ軍などとともに他国で集団的自衛権を行使しようとするのは無理な話です。
 これはわかりやすい話なので、この法案が違憲であるとの考えは広まっています。世論調査でも、この法案に反対する人は賛成する人よりもかなり多い結果が出ています。
 ただ、私はそれに加えて、2番目の論点、つまり、自衛隊がアメリカ軍に追随して軍事行動を行うことの危険性をもっと我々は語るべきと考えています。
 そこで、「河北新報」の「持論時論」という欄に次の内容の投稿を出し、6月8日の紙面に掲載されました。
 これは掲載される前の原文ですが、お読みいただければ幸いです。
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 私は、パレスチナの人々を支援する市民団体の代表として、この二十数年間、パレスチナ及びアラブの国々を訪れ、現地の人々と関わってきた。
 そんな私の眼には、米国との軍事同盟の下、現在安倍政権が成立させようとしている安保法制は、きわめて危険なものと見えてならない。以下に、その理由を述べたい。
 アラブ世界の人々は、これまで米国を厳しい目で見てきた。それは、昨夏のパレスチナ自治区ガザへの大規模爆撃のように、パレスチナへの攻撃を続けるイスラエルを米国が政治的・経済的・軍事的に支援し続けてきたからだ。私もガザの病院で、イスラエルが使用した武器に刻まれた「メイドインUSA」の文字を目撃したことがある。
 加えて、米国は2003年に「大量破壊兵器保有」という虚偽の情報を元にイラクを攻撃し、夥しい数の市民を殺傷した。
 アラブの人々は、こうした米国の行いに「十字軍」を想起している。かつて「聖地奪回」を唱えて欧州からパレスチナにやってきた十字軍が虐殺の限りを尽くしたことに、現在の米国の行為を重ねて見ているわけである。
 他方、これまで日本に対するアラブ世界の人々の見方は、概ね良好なものであった。通りすがりの相手でも、私が日本人だとわかると握手を求めてきたことが、何度もあった。
 アラブ世界では、人に会うと「アッサラーム・アレイコム」と挨拶する。これは、あなたが平和であるように、という意味だ。このように、アラブ世界の人々は決して好戦的ではなく、平和を愛する人々である。だから、戦争を放棄して技術大国となった日本に敬意と親近感を持っているのだ。
 ところが、安倍政権は昨年七月に集団的自衛権が行使できるように憲法九条の解釈を変更することを決め、自衛隊の活動範囲を大幅に拡大すべく、安保法制を今国会に提出した。
 米国はすでに覇権国家の重荷を単独で負うのが困難になり、その肩代わりを日本に求めてきた。そうした米国の利害と、自衛隊が世界規模で戦闘できるようにして憲法九条を骨抜きにしようという安倍首相の思惑が一致したのだろう。
 しかし、米国との軍事同盟を強化して中東を含む世界規模で自衛隊を展開させようとするならば、日本周辺諸国のみならずアラブ世界をも敵に回しかねない。
 事実、IS(イスラム国)との戦いに同盟国として日本政府が名乗りを上げたことが、今年一月に二人の日本人が殺害される引き金となった。その直前に安倍首相はエジプトで「ISと戦う周辺諸国に支援を約束する」と演説しており、世界中から「日本が戦争を支援する」と受け止められた。イスラム国と戦うことを目的にしてしまえば、その手段として難民支援をすると言っても、それが敵対行為と受け取られるのは当然だ。
 アラブ世界の人々の有する米国に対する憎悪を鑑みれば、たとえ後方支援であろうとも、日本は米国の戦争に決して協力すべきではない。
戦争しない国だからこそ、日本は世界で信頼されてきた。にもかかわらず、米国の軍事行動に従属して自衛隊を派兵し武力行使する国になってしまえば、私たちは戦後積み上げてきた信頼を一度に失ってしまうだろう。武力ではなく、教育・医療・環境などの民生支援で平和を作っていくことこそ、私たちが歩むべき真の「積極的平和主義」の道である。