どうして日本のPCR検査は、こんなにも少ないのか。どうして増えないのか。安倍首相は4月7日の記者会見で、1日2万人にすると言及したのに、その後も日本のPCR検査は、1日1万人弱で推移している。安倍首相の言及は、単なる「大ボラ」だったのか。政府がこうして無為無策を決め込んでいる間にも、軽症で自宅観察と診断された患者が、何百人も死亡している。人口10万人当たりの検査数でみても、米ニューヨーク州が4485件、イタリア3159件、ドイツ3044件、アメリカ1752件などに対して、日本は188件と、桁違いに少ない(2月14日~4月29日に、地方衛生研究所、民間、大学、医療機関で実施された合計の検査数)。これはオリンピック開催のために抑えたのだという以外に説明がつかない(政府としては決して言及できない言い訳なのだろうけれども)。これははっきり言って「失政」の部類にはいるのではないか。
厚生労働省は、5月8日に「37度5分以上の発熱が4日以上続く」という目安を改め、そこまで至らない場合にも、「すぐ相談する」とした。だが加藤厚生労働相はその前日に、「目安として出したのに基準であるかのように誤解された」と言い訳している。その基準が独り歩きして、現場の保健所では、その基準に達していない場合にはPCR検査を断っている場合がほとんどであると言ってよい。その結果、自宅で療養している場合に容態が悪化して、死に至る場合が無数に報告されている。これは政府の行政が行った「殺人」に等しいと言っても、何ら過言ではない。加藤厚生労働相は、もし間違った運用がされていたのなら、なぜ早期に改めないのか。これはこの内閣がよくやる「下部への責任転嫁」ではないのか。また現在でも、いったん陽性となった人でも、経過観察が14日を過ぎれば、再び陰性と判定されなくても、検査をやらないでそのまま社会復帰させる例が増大しているという。また聞くところによると、1996年には全国で846箇所あった保健所が、2020年には何と469箇所に縮小されているのだという。これでは保健所の運用ばかりを責められない。これは今回のコロナ騒動で、死者が大量に出たイタリア、スペイン、フランスなどでも、みな数年前に医療費の削減を大規模に行い、そのしっぺ返しを食っているのだと言うではないか。
「PCR検査の不十分な体制は日本の恥」と批判し、検査の拡充を求めてきたのが、山梨大の島田学長である。「検査上限を世界水準からかけ離れた低値にとどまり続けさせる大失態を招来した」と批判し、「3月下旬まで地方衛生研究所・保健所が検査をほぼ独占してきた」「行政機関のみに依存する体制はそもそも無理筋」とも指摘している。九州大学の小田垣孝名誉教授も、「検査と隔離の仕組みの構築は、政府の責任である。その努力をせずに人混みの8割削減ばかり強調するのは、国の責任放棄だ」とも指摘している。これは「驚くほど無能である」という、ニューヨークタイムズの指摘とも共通する。