安倍一強というが、それに対抗する野党勢力も、余り腰が定まっていない印象がある。一番の大きなテーマは、消費増税だろう。野党はそれなりに消費増税には「今その時期ではない」と反対している。だが私が強調したいのは、「消費増税反対」どころではなく、それ以上の「減税」が必要であるとの提唱である。野党は、なぜ「減税」と言わないのだろうか。今の「危機的」と称される国家財政から見れば、「減税」などとんでもないと考えてしまうからだろうか。
 かつて民主党政権時代に、(当時の)菅首相は街頭演説で、「消費増税をやらなければ日本はギリシャ並みになる」と絶叫し、即座に支持率を急落させた。次の野田首相は、時の財務省勝事務次官の操るままに、自公を呼び込んで消費増税強行をごり押しし、次の総選挙で民主党の議席を4分の1に減らして大惨敗させた。この総括が旧民主党勢力でも未だにできていないのではないか。はっきりと「野田ノー」と言えないで、未だにグチグチしている。
「現在の財政危機の時期に減税などとんでもない」というのが、一般の識者の論のようだが、果たしてそうか?
 もっとも一口に「減税」と言っても、「減税」にはいろいろある。ここで私が言うのは「所得税」「住民税」の減税のことである。かつて小泉首相時代に、医療財政危機を是正すると称して、1年で2200億円、5年で1兆1千億円医療費を削減したが、それでもたかだか1兆1千億円の節約だった。現在の1100兆円と言われる国家財政の「危機」を、この小泉方式で解消するとすると、何と1千年もかかるのである。しかもこの小泉「解消策」で、地方の公立病院が何箇所も潰れてしまった。現在の「財政危機解決」提唱論者に聞くが、「1千年もかけてこの方式で『危機』を克服していくのですか?」ということである。それは,1000年もの間、国民に塗炭の苦しみを強制することになる(この議論は5年ほど前にブログ「財政再建論に対する一試考」で述べたことがある)。現在の「財政危機克服提唱論者」からは、そう聞かれても明確な答えは未だに一向に返ってこない。
「この1千年もかけた財政危機克服策」には、はっきり「ノー」と断定すべきと考えているところに、有力な「理論」が現れた。それは「現代金融理論(MMT)」と言うのだそうである。もっとも、あたかも理論上の一つの仮説であるかのように、わざわざ「理論」と銘打たなくとも、至極当たり前の理屈なのではなかろうか。「インフレにならない限り財政赤字を気にしなくてもよい」というのが、その理屈である。1100兆円の「借金」というが、それはギリシャのような対外債務ではなく、ほとんど国民金融資産からの「借金」である。資産の裏付けのある「借金」なのである。対外債務の場合、いつ引き揚げられるかわからないとなれば、その不安に常々怯えることになるが、資産の裏付けがあればインフレにはならない。「アベノミクス」の忠実な履行者である黒田日銀総裁が「年2%のインフレ」をいくら提唱しても、5年かかっても未だに成果が上がらず四苦八苦しているのが良い例である。マスメディアは、上記の「MMT]を紹介した記述の中で、盛んに「財政出動にならないように」と予防線を張っているが、現在、財政出動をして景気を上向かせることは、必要なことではないだろうか。
かつて河村たかし名古屋市長は、「減税日本」という政治結社を立ち上げ、市長の報酬を自ら4分の1に引き下げるとともに、市会議員の報酬も年1450万円から、800万円に引き下げた。その後「減税日本」のほうは全国政治団体としてあまり機能しているとは言えないが、報酬の減額は、それなりの役割を果たしたのではなかろうか。区市会議員の仕事は、それなりに地域と密着していると言えば言えるが、都道府県会議員の報酬は、もっと引き下げてもよいのではないだろうか。何をやっているのか、訳が分からない。アメリカの州議会議員の報酬は、日本の都道府県議会議員の報酬の3分の1ぐらいだというではないか。
「日本は1100兆円もの借金がある。今に超インフレになる。この危機を増税するかして、何とか解決しなければならない」という巷に溢れている議論は、ほとんど眉唾ものである。「1000年もの間、国民に塗炭の苦しみを味あわせて良いのですか」という問いに対して、増税論者が明確に答えたことはない。増税論者が「借金1100兆円に達している」と声高に増税を主張するのは、必ずそれは
庶民を対象にした増税なのである。ここ5~10年ぐらいに過度に減らしてきた累進課税を、元に戻そうといった意図はいささかも含まれてはいない。だからむしろ「庶民には減税を」ということを、政治の世界では強く主張すべきなのではなかろうか。