新型コロナウイルスの拡大が止まらない。日本でも増え続けているが、とりわけ深刻なのがヨーロッパ、中でもイタリアである。致死率8%ということなので、深刻である。イタリアでは、これまで公立病院の統廃合や医師の給与カットなどの医療費削減を進めてきた結果、医療関係者の海外流出を招いた、また医療従事者用のマスク、吸入用の酸素、人工呼吸器の不足など、その結果が現在につながっているとの指摘がなされている。医療体制の崩壊である。
 このイタリアの状況に鑑みて、思い出されるのが、小泉内閣の時の「医療費削減」である。かつて筆者は、2012年12月にこのブログで、小泉内閣の時の医療費削減について言及したことがある。5年で1兆1千億円削減したが、その結果、銚子市立病院や大月市立病院など、いくつかの公立病院がバタバタと潰れてしまった。また医療機関に6か月以上入院したり、病床数200以上の大病院を紹介状なして受診すると、「選定療養」(好き好んで選んだ療養)として、前者は強制的に退院させられ、後者は別途2000円徴収させられたりした。それでも5年でたった1兆1千億円の削減である。この調子でいくと、日本の財政赤字1,000兆円(当時)を削減するのに、なんと5000年もかかってしまうのである。5000年かけてもやる値打ちがあるのですか、ということになる。その5000年の間、国民は塗炭の苦しみを舐めることになる。
今回のコロナウイルス騒動では、ほとんど言及されていないが、あのまま小泉内閣当時の医療費削減を続行していったら、日本も今回のイタリア並みの騒ぎに確実になっていたということである。5000年かけて1000兆円削減するなどということは、全くの絵空事でしかない。財政規律を正すなどということは、それだけ聞くと聞こえはいいが、実際は有り得ないお話でしかない。国の借金が1000兆円あろうと、それが国民全体からの借金であるならば、すぐにでも返さなくてはいけない借金ではない。また貸金引き上げの脅しに怯えることも不要なのである。
今回のコロナウイルス騒動ではっきりしたことは、財政規律を正すなどという美名に怯える必要は全くないということである。その美名のもとで行われる「医療改革」と称するもののほうがよっぽど怖いということである。日本の現実がそれを証明している。