私たち行政書士にとっては、登記は普段は縁のない領域である。たまに会社の設立依頼があって、定款を作成した後で、司法書士さんに登記の依頼をするなど、間接的に関わることぐらいである。だが今回、たまたま近親者のところに訴訟沙汰が起きて、その話を聞くことで、居ながらにして登記の勉強をさせていただくことができた。
 一昨年の11月、近親者Aさんのところに突如一片の訴状が舞い込んできた。北陸地方の
S県T簡易裁判所の名による「口頭弁論期日呼出状及び答弁書催告状」である。訴状を一方的に送り付け、「翌月の中旬午後に表記の弁論を開くから当裁判所の法廷に出頭せよ」との呼出しである。要件は「土地所有権移転手続き請求事件」で、中味を読むと、昭和13年3月にAさんの父親B(登記義務者)がCに売った土地の登記がまだ済んでいないから、C(登記権利者)からその土地を相続した子どもDが、登記手続きを求めるという訴えだった。弁護士を代理人とするその訴状には、さらに「裁判費用は被告人の負担とする」という請求まである。
 同一の訴状は、Aさんの兄弟6人全員に送り付けられていた(1名は代襲相続人)。驚いたのはAさん他6人兄弟である。昭和13年の話など、突如降って湧いたような話である。何もそんな話を承知して、父親Bから相続を受けた訳でもない。慌てて兄弟6人の鳩首協議となったが(といってもみな遠方にいるので電話会談だが)、手探り状態で何も決まらない。件の訴訟物・土地の価額は、僅か約10万円であるが、東京からS県Tまで新幹線で往復して一泊するだけで、その位は吹っ飛んでしまう。だが、昭和13年から20年たち、Dが登記なしでも平穏かつ公然と20年間その土地を占有し続けた訳だから、昭和33年3月以降は、土地の所有権が取得時効によりDの物になることはだれにでも分かる。その場合でもこちらが登記をしなくてはならないのだろうか。
 また昭和33年にDが土地を所有して以降、その間の期間に利子が付くのかどうか。もし付くとすれば膨大な額になるし、訴訟費用が被告持ちだとすると、これもかなりの額になるが、一体どのぐらいの額になるのか見当もつかない。
 最初は、兄弟全員の意見は、「相続放棄でいこう」というものだった。相続が開始されたことを知った時から3か月以内だから、時間的には充分間に合う。だがだれかが「裁判で請求されてからでは、相続放棄はできないのではないか」「それは詐害行為にならないのか」と言い出したら、みな混沌となってしまった。弁護士に確かめてみないとこの辺のところはよく判らない。
 そうこうモタモタしているうちに、相手方の弁護士から手紙が届いた。そこには「訴訟費用は訴訟で勝っても皆様には請求しません。また弁護士費用はDが負担します」と記してある。これを巡っても、また兄弟間で一悶着あった。長兄は「直後にこの弁護士と電話で話したが、誠実そうで信頼が置ける。訴訟費用はこちらが負担しなくてよさそうだ」と言う。それに対して別な兄弟は「電話だけで直接会ってもいないのに、信頼していいなどというのは甘すぎる。もし法廷で別なことを言い始めたらどうする」と、反論するという具合。最後は結局長兄の言う通り、この弁護士の言うことを信用してみようじゃないかという結論と相成った。
 そのしばらく後に今度は次兄が、ある司法書士が解説した文書を持ってきた。そこには「登記義務者が登記を解怠した場合、その土地が登記権利者のものになったとしても、登記権利者が勝手に登記をしてしまうわけにはいかない。その権利はない。結局登記義務者は登記すべしという裁判に訴えて、勝訴判決をもらって、初めてその土地所有者が登記をすることができる」と記してある。兄弟全員、自分たちの一件は、結局この例と近いということで大体得心がいったということである。
 その後件の口頭弁論が被告全員不在のまま開かれ、「被告全員は出頭しないものであるから、訴因事実を争わないものとみなす。したがって被告は取得時効を原因とする所有権移転登記をせよ」「訴訟費用は原告の負担とする」という判決が下りた。この被告敗訴の判決をもって、晴れて原告は所有権移転の登記が可能となったのである。ここにこの件は一件落着となった。三方一両損ではないが、だれも得しなかったかわりにだれも損もしなかったという次第。