この8月にやっと3本の映画を見ることができた。「なんだ。それっぽっちか」と言われてしまいそうだが。
 どれも68年前の戦争に関わる映画で、「終戦のエンペラー」「少年H」「きけわだつみの声」、あと浅田次郎の「『終わらざる夏』をめぐって」と題する講演を聞いた。
 「終戦のエンペラー」(原題エンペラー)は、1945年8月にマッカーサーが厚木飛行場に降り立ってから、一連の日本統治をどうやって成し遂げていったかを巡る物語である。マッカーサーの副官が中心となり、天皇の戦争責任や東條ら軍幹部、重臣たちの追及、調査を精力的に行い、最後はマッカーサー・天皇会見を以って終始符を打つに至る。途中、アメリカ映画らしく、副官が戦争突入前までは、アメリカ留学の日本女性と恋仲だったという設定で、日本駐留後もその女性を尋ね回るという情景も織り交ぜながら、物語は展開する。
 結局、これは「アメリカは、天皇が戦争を終結するために努力したことを、よく分ってくれた」と理解することも可能だだが、一方「天皇制を救ったのはこのアメリカなんだぞ。そのことがよく判っているのか」という内外に向けたメッセージとも受け取れる、政治的に意味深長な映画だったという感じがする。
 「少年H」は、ベストセラーになった妹尾河童の同名の小説の映画化である。1940年頃から急激に変化する時局とその中で生きた少年の生き様を、具体的に描き出している。
1940頃から急速に悪化する日米関係とその中で時局に棹さして旗を振る者と真摯に必死で生きようとした少年Hら家族の姿を描く。だがついこの間まで教会で仲良くしていた欧米人が不安を感じて帰国した後、本当にアッという間に日本は戦争一色となっていってしまう。それは恐ろしいほど本当に短い。セット撮影だろうが、神戸市への焼夷弾投下と火災の凄まじさ、焼夷弾が壁や地べたにブスリブスリと突き刺さる臨場感、当時横行した往復ビンタの残虐さには、さすが名監督だ(降旗康男監督)と感心させられた。
 ただ高級洋服仕立て屋で真摯に生きた父親の生き様にHが畏敬の念を持つのはよいとして、戦前に主義者だった人物が、敗戦後それを忘れて生活していたり、逆に往復ビンタ常習犯だった軍事教官が、主義者となっていく様は、無論そういう人物は沢山いただろうが、ややシニカルかなという感じがした。
 「聞けわだつみの声」(1950年公開。関川秀雄監督)は、敗戦間近のビルマ(当時)インパール作戦での学徒出陣兵の敗残の記録である。作戦と言っても、これは逃避行(転進)中の戦闘に過ぎなかったのだが。「インパール作戦」は、「ノモンハン事件」「ガダルカナル島決戦」と並んで、いずれも陸軍参謀本部の辻政信参謀が現地で陣頭総指揮を執った戦闘であった。みな何万人という戦死者を出して敗退した大失態の作戦だった。また当時大本営参謀本部作戦課長でこの3戦闘を起案したのは服部卓四郎大佐だった。だがその敗退の責任はだれも取っていない。辻は東南アジアを「潜行三千里」逃亡した挙句に講和条約締結後帰国して代議士となった。
 私事になるが、私の父親と辻は、陸軍士官学校同期で、郷里が近かったため(同じ県同じ郡の出身)ある程度の交際があった。服部も士官学校同期卒業だが、陸軍大学は服部がストレート、辻はそれより1期遅く、父親はさらに辻より3期遅く卒業だったという。(杉森久英「参謀・辻政信」河出文庫。絶版がある)
 閑話休題。途中大隊長が逃亡した以外は、みな米軍との戦闘で、泥水まみれになりながら絶望的に死んでゆく。最後は、死んだ学徒兵の魂が幽鬼となってゆらゆらと郷里目指して帰っていくところで終わる。悲惨な結末であった。
 浅田次郎の講演は、著作「終わらざる夏」に即した話ではなく(「終わらざる夏」は、千島列島東端のシュムシュ島(占守島)をめぐるソ連軍との攻防を主題とした小説である。守備隊は玉砕ではなく、徹底抗戦したあと降伏してシベリア送りとなった)、高級漫談に近い話だったが、それなりに聞くところもあった。いま高校では日本史は必須ではなく選択制だという(浅田の時から既にそう)。「これは相当まずいですよ」「自分たちが依ってきたところを知らないで過ごすというのだから」と力説し、最後は「戦争はイメージで捉えるのではなく、具体的な戦闘として捉えなくてはいけない」と締めくくった。
 ときには仕事漬けではなく、「文化的な?」労働をすることも有意義だったと思えた夏であった。