吉永小百合主演の「北のカナリアたち」
最近映画「北のカナリアたち」(2012年)と「ERNESTO」(2017年)
を見る機会があった。前者は吉永小百合の主演にひかれて、後者はエルネスト・チェ・ゲバラを主人公とする映画だということで観覧した。前者は湊かなえの「二十年後の宿題」を原作としている。だが後者を見るまでは、両方とも同じ監督(阪本順治)の作品であるということに気づかなかった。何ということだ。映画とは、あくまで監督が作るもので、俳優はその素材に過ぎないということが、私の持論だったのに(この考えは今でも変わらないが)。「北のカナリアたち」は、11月2日に上映されると、直後の2日間で、観客動員数約16万5千人となり、歴代2位となったという。
前者の映画の筋は、ここでこと細かく紹介することは避けたい。その余裕がない。ただ最後に北海道の離島の分教場に、二十年後に吉永小百合と当時の生徒6人が再会して、DV男から女性を守ろうとして殺人を犯し、拘引されるノブを送るのに、「みんなあなたが好きだから」と言って「カナリア」(西條八十作詞「唄を忘れたカナリアは~」)を合唱して幕となることで、感動を与える。私は学生の頃から熱心なサユリストだったので、今吉永小百合が70歳を超してもこうして活躍していることを、心から歓迎したい。この映画を作るに際しては、吉永小百合のほうが阪本順治監督でと希望したそうである。(集英社新書「私が愛した映画たち」)。
吉永小百合はその本でも、「二度と日本が主導権をもって戦争を起こすことがないようにとずっと願ってきましたが、戦後七〇年を過ぎるあたりから、戦争の足音がどんどん近づいてきているようで、とても怖い気がします」「原爆の悲劇を繰り返さないために」「民間人が戦争に巻き込まれる事態を二度と到来させないために平和のために役立つことを発信し続けていかねばと思っています」と述べている。同感である。
二人の「エルネスト」
「エルネスト」とは、最初はゲバラのことを指すものとばかり思っていたが、そうではなくて、ゲバラともう一人、日系ボリビア人で、ゲバラから「エルネスト・メディコ」の称号をもらった戦士「フレディ・前村・ウルタード」のことをも指すのだった。キューバでの医師の研修を投げうって、ボリビア解放のために立ち上がったエルネストは、最後ボリビア政府軍に川の中で無残に撃ち殺される。ゲバラの死の一か月半前のことである。だが不思議に無駄な死に方だったという気が湧いてこない。立派に戦ったという感慨のほうが、強く湧いてくるのである。これは矢張り監督の手腕によるのだろうが。
「ERNESTO」の冒頭に、キューバ革命を成し遂げた直後(半年後)ゲバラが広島を訪れて慰霊碑に献花をし、「君たちはこんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないんだ」と疑問を投げかける場面が出てくる。これは多分世界のほとんどすべての人々の感想であろう。日本では既得権益に首まで浸っている支配層だけが、ひたすらアメリカ追随を追い求めているのだが。
エルネストがキューバでの医療研修に参加したほんの5日後、1962年のいわゆるキューバ危機が迫ってくる。研修生もみな研修は中止して、対米戦争準備に参加する。エルネストは対空砲の操縦を任されるが、やがてソ連のフルシチョフが、キューバの頭越しにミサイルを撤去して、対米核戦争は回避される。この間キューバでは反米デモが渦巻き、またキューバの頭越しに決定が行われたことに不満が充満する。エルネストも怒りを爆発させる。だが、これは私見だが、もし仮にフルシチョフがカストロと「どうしようか」と相談していたら、戦争回避は出来たのだろうか。むしろ逆に時間切れで不可能だったのではないかという気がする。
奥深いキューバ革命
ゲバラの戦死の後、ゲバラを追悼してキューバ国葬が営まれた。この時葬儀委員長の計らいで、キューバ出身のペレス・プラード作曲の「二つの世界」が演奏されたという。ペレス・プラードはその頃、金儲けのためにアメリカナイズしたと疎んじられていたのだが。マンボのような賑やかな曲ではなく静かな好い曲である。キューバ革命の奥深さを示すものと言えようか。キューバは今でも教育費と医療費は無料であり、輸出入で入超となった場合には、医療サービスで返すと言われている。またカストロとゲバラとでは、中南米革命の戦略やソ連との距離感で意見を異にしたにも関わらず、ゲバラが身を引いて中南米革命に殉じたことには、いつまでも哀悼の意を表さずにはいられない。米大統領のトランプは、カストロの死亡に際して「残忍な独裁者だ」と罵ったが、この言葉は、そっくりそのままトランプに返すべきだろう。
結局、対米戦争回避後、エルネストは再び医学の研修に励むこととなるが、最後にボリビアの軍事クーデターに抗して、ゲバラと行動を共にする。この映画は、僅か25歳で散ったエルネストのひたむきな情熱を、これでもかこれでもかとばかりにスクリーンにぶつけて、観客を惹きつける。エルネストを演じるオダギリジョーは、そのひたむきの情熱を、真摯に演じ切っている。阪本順治監督は、近来の日本映画にはない社会変革に熱情を注ぐ若者の姿を活写して、見る者に限りない勇気を与えてくれる。