2011年 2月の記事一覧

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11年02月06日 20時13分21秒
Posted by: heartful

事故等で意識ははっきりしているものの死を覚悟した場合,自分の思いを残すには危急時遺言という方法があります。

この場合には3人以上が証人として立ち会う必要があります。そして,その証人のうちの1名が遺言者の遺言を趣旨を口授して遺言することができます。

口授を受けたものは内容を筆記し,遺言者と他の証人に読み聞かせたり,閲覧させたりして,その筆記が正確なことを承認してもらいます。

各証人は承認の後に遺言書に署名押印しなければなりません。

これを危急時遺言といいます。しかし,危急時遺言はこれで手続きが終了するわけではなく,証人や利害関係人からその作成後20日以内に家庭裁判所にて確認を得る必要があります。

遺言者が亡くなった後には遺言書を家庭裁判所での検認の手続きが必要です。

11年02月04日 20時26分58秒
Posted by: heartful

自筆証書遺言は自筆という前提条件があります。なので,ワープロ,タイプライターなどでの作成はできません。また,テープレコーダーでの録音なども要件を満たしていないことになります。

ただし,カーボン紙を用いることまで排除しているわけではなく,カーボン紙の使用は許可されています。

遺言者が病気等で手が震える等の場合は運ひつに他人の助けを借りたという点だけで当然に無効となるわけではありません。他人の意思の介入の形跡が見られなければ要件を満たすと判断されれう場合もあります。

自筆証書遺言には日付を書くことも要件となっています。もちろんこの日付も自書しなければなりません。日付は○月○日ときちんと日付を特定できることが望まれますが,「私の誕生日」など,日付の記載がない場合でも日付の特定ができれば有効となる場合もあります。

署名も必要です。ただし,自分の戸籍上の名前でなく,ペンネームなどでも,遺言者との同一性が確認できれば構わないとされています。

署名には押印も必要です。押印には実印である必要はなく,認印で構わないとされています。また,拇印等の指印でもよいとされています。

11年02月02日 16時52分33秒
Posted by: heartful

結婚当時,妻は特定の宗教には入信していませんでした。しかし,結婚後3年たったころにある宗教団体に入信することになりました。

1年ほどたったころ,夫がそれに気づき,夫は宗教活動をする妻を,あまりよく思っていなませんでした。そこで,夫はその気持ちを妻に伝えました。しかし,妻は夫の言葉に耳を貸さず,さらに信仰を深めていきました。

宗教活動をすること自体の良し悪しは語る必要もなく,悪いわけはありません。しかし,家族の間に小さな隙間を生じるようになると,何が大事なのか微妙な問題になります。

さらに,何が大事なのかを話してみると,「家族の健康,幸せ」など,同じだったりします。つまり,そこに行きつく手段として,心の支えとして,何が自分にとって必要なのかという問題なのかもしれません。

そして,妻は5歳になる子どもを連れて集会等にも参加するようになりました。

ところが,妻の宗教思想が非常に偏っていると報道されました。夫はそれを見て,妻に信仰を辞めるようせまり,集会への参加を禁止してしまいます。しかし,宗教は信仰の問題でもあり,それは心の中の問題でもあります。

つまり,外側からの禁止等の抑制だけでは効果はない場合もあるということです。

信仰心をもつ妻は,墓前で手を合わせない,地元の祭りの参加を拒否する,正月の初もうででの参拝の拒否などを続けていきます。

そんな妻のかたくなな態度が夫の気持ちを大きく逆なでしました。そして,ついにそれに対する夫の暴力が始まってしまいます。

結婚5年後には,妻が実家に帰ってしまいました。ここから夫婦は別居となります。

そして,ついに別居が約7年になろうとするころに夫が離婚の請求を行ってしまいました。

この場合,暴力行為をしたいわゆる有責とも言える夫側からの離婚の請求が認められるのかとの判断も考えられました。

しかし,破たんのもともとの要因は信仰上の食い違いであり,この部分において,夫のみの責任と言えません。つまり,妻の側にも責任が認められます。なので,この請求は認められ,さらに婚姻関係が破たんしているとして,離婚も認められました。

幸せになろうとするための宗教活動が,いつしか,活動のための活動となってしまい,その活動に対して周囲の理解が得られなくなってしまったようです。

家族の幸せのための宗教活動が,いつしか,その活動によって家族が振り回される結果となってしまいました。本末転倒な結果に複雑な思いがいたします。

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