中秋の名月も終わり、いよいよそういう季節ですね。

私は読書嫌いで、今までの人生、極端に言うと本を読んだことがない。
いわゆる、マンガは読みますが。
唯一、読んだのは「ハリーポッター」シリーズだけ。
全て、発売日に予約して、読んだ。

あれは、中学校1年生のときだったか、夏休みの課題か何かで『車輪の下』を読んで感想文を提出する羽目になった。
読み始めたが、さっぱりわけわからんし。
感想なんて書けるはずもない。
結局数ページだけ読んであきらめて、課題も出さなかった。
それ以来、読書嫌いになっちゃった。

別に、本読まなくても生きていけるし。
読書好きの人より、もっと数奇な人生を歩んで、社会のこといろいろ知ってるし。
クイズなんかにも強いし。
新聞や中吊り広告で作者名や題名は目にするから、話題にはついていけるし。

昨夜、おとなしく家にいたら、どうにも手持ち無沙汰だった。

3人の息子たちは、なぜか、読書好き。
私の子育てが正解だったんでしょう。
いわゆる反面教師っていうやつ。

で、晩ご飯に、ゆずチューハイをちびりちびりやりながら、家にいた次男に話した。
「本を読んでみたいから、なんか貸して。」
「どうしたん?悪い物でも食ったん?それともいやなことでもあったんか?」
「ボケも突っ込みもいらんから、マジで貸して」
「ふぅん、で、どういう本がいいの?歴史物?推理物?小説系?」
「西村京太郎とか聞いたことあるぞ」
「推理本はいろいろ面白くていいけど、小説っていうか考えさせられる本ではないな。もちろん犯人を考えたりはするけど、読書のよさはそういうものじゃあないからなぁ」
「そうなんか。なんか邪魔臭いなあ。ま、ええわ。とりあえず、短い目のやつ頼むわ」

次男が自分の部屋へ何かをとりに行って戻ってきた。
「じゃあ、これ読んでみ。短いし、割と最近の作者だし、オヤジにはちょうどええかも。人の気持ちとか考えるきっかけになるかもよ。ほんまに自己中なんやから。」

貸してくれたのは、東野圭吾の『手紙』だった。

さっそく読んだ。
2時間半で読みきった。
トイレも行かずにのめり込んでしまった。
涙が止まらなかった。
嗚咽というのか、胸が苦しかった。

読み終えて、シーモのマザーが聞きたくなって、聞いたらまた涙があふれ出た。

何なんや、読書って!

ただの文字の羅列なのに、登場人物のその時々の表情や感情が頭に浮かぶ。
周りの状況や景色も浮かぶ。
勝手に登場人物の声や顔まで出来上がってしまってる。

読書って、本を読むって、こういうことなんか!
文字や言葉の力って、こういうことなのか!

中学校の時の先生を恨むで。
はじめにこういう本を読ませるべきではないのか?
きっと、私でさえ、読書好きになったはず。

それにしても、東野圭吾ってすごいね。
もしかしたら、他の作者もみなさんそうなのか。
読んだら感動するような、いろいろ考えさせられるような、そういう小説を書くのが作家という人々なのか?

完全にやられましたね。
正直、いまさらだけど、読書にはまりましたね。

幸い息子たちの本が山ほどあるから、当分は金もかからず読書三昧にふけることができる。
ああ、今まで40年間、ある意味損をしてきたぞ。
これからは、夜うろうろせずに読書で健康生活なのだ。

寝不足は必至だけどね・・・