最近立て続けに、行く先々で知ってる人に出会ったり、見られていたり。
それも、ホント久しぶりの人とバッタリとか。
それはそれで嬉しいですな。
出会った場合は、「やぁ、こんにちは~」とか話が弾んだりして楽しいものです。

そうではなくて、電話や集まりの時に「この前どこそこにいたでしょ?見かけましたよ』的なことを言われると、ドキッとしてしまう。
「え?誰といたときやろ?」とか「どんな顔してたんやろ?」とかあせってしまう。

だいたい聞き返すのは「私の姿勢や様子はどうでした?元気なくうつむいて歩いてませんでしたか?悩んでるような感じでしたか?」とか。

なぜなら、無意識のうちにそういう元気のない様子だったとしたら、ダメダメだから。
いつも元気一杯、パワーに満ち溢れていないと、ね。
別に、常にそういうことを意識しているわけじゃあないから、無意識の時こそ日常がでているはず。
そこでの自分を客観的に見られているんだから、本当の日常がわかるってなもんですね。

ここんところの〆は、昨日、お客さんのところの若い男性社員に話しかけられた。
「アンドウさん、昨日、京都医療センター(かつての国立病院)に行ってはったでしょ?見かけましたよ」
「え、そうなんですか。声をかけてくれればよかったのに。そうなんですよ、行ってました。○○さんはお見舞いか何かですか?」
「ボクは、家族の診察なんです。アンドウさんが病院にいるなんて似つかわしくないし病気しそうにないし、なんで?と思ってました。」
「んなアホな。私だって病気ぐらいしますよ~昨日はそうではないですけどねぇ」

とか言いながら、説明したら感心されちゃった。

というのは、私が行政書士として社会貢献も含めた使命感から、成年後見人としてある男性のお世話をさせてもらってる。
これ以上他の人を引き受けることは、物理的に不可能なので、唯一この男性だけと決めている。
あ、もちろん、もともと何の面識もなかった男性ですよ。

その男性は、南のほうのとある病院に長期入院されていて、ときどきこうして京都医療センターに診察や検査に訪問するのです。
一番取っ掛かりに京都医療センターで入院や診療を受けておられたからですね。

そういういきさつで、今入院されてる病院まで迎えに行って、京都医療センターにお供していたというわけです。
そこを偶然見かけられたということですね。

そのことと、成年後見のことを少し説明したら、彼とまわりにいた他の社員さんたちの私を見る目が明らかに変化しましたね。

今までも「アンドウさんて面白い行政書士のおっさんやなぁ」とか、行政書士として悪い印象ではなかったことには自信がある。
ところが、昨日は確実に良い印象に拍車がかかったね。

「アンドウさんって、そんなこともしてはるんですか?行政書士って許可だけと違うんですね!すごいですね~それって、ボランティアですか?」
「実は家庭裁判所にきちんと認められて後見人になってるんですね。申請すれば報酬も年数十万円もらえるんですよ。私は全くの無報酬でやってますが。一種の懺悔ですわ。若いときから社会に迷惑をかけてきたから、ここらでお返ししないといけないでしょ。」
「ますます凄いじゃないですか。献血もしょっちゅう行ってるってこの前言ってはったし、社会貢献の鬼ですね。」
「それほどでもないですよ。ただ、ええ死に方がしたいだけですわ。」
「またまた、アンドウさんは死なないでしょ。200ぐらいまでいくんちゃいますか。」

などと、話は弾んだんですが、私の株も上ったし、行政書士の株も上りましたね。
狭い狭いほんの一箇所だけでですが・・・

かように、いつもどこかで誰かに見られているかもしれませんよ。
そこのあなた、ちゃんと背筋を伸ばして歩いていますか?

元気良く前を向いていますか?
そう自分に言い聞かせるのだ!